埼玉県 行田市の魅力発見③~陸王の町~
皆さん、こんにちは。
今回は、テレビドラマになった竹内涼真も出演した『陸王』についての話と元ネタの足袋蔵についてお伝えしたいと思います。
あらすじ(小説より)
埼玉県行田市にある老舗足袋業者「こはぜ屋」。日々、資金操りに頭を抱える四代目社長の宮沢紘一は、会社存続のためにある新規事業を思い立つ。これまで培った足袋製造の技術を生かして、“裸足感覚”を追求したランニングシューズの開発はできないだろうか?
世界的スポーツブランドとの熾烈な競争、資金難、素材探し、開発力不足——。従業員20名の地方零細企業が、伝統と情熱、そして仲間との強い結びつきで一世一代の大勝負に打って出る!
行田市のホームページでは、
行田は木綿の産地でもあり、近くに中山道が通っていたことで、旅行や作業用の足袋づくりが盛んになったと考えられています。
明治時代になるとミシンが使われるようになり、足袋の生産量は増大しました。また忍商業銀行や行田電燈株式会社が設立され、資金も安定し、ミシンの動力化も進んで、名実ともに行田の足袋は日本一となりました。
昭和13年(1938)の足袋生産量は8,400万足で、これは全国生産のおよそ8割を占めていました。
とあり、盛んだったことがわかります。
と、かくいう私の家族(母方の祖父)も若かりし頃熊谷市の実家を出てわざわざ行田市の足袋蔵に弟子入りした過去がございます。
祖父の話をもう少しでしますと、
行田市の足袋蔵に弟子入り
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独立
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最盛期を迎える
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陸王の足袋職人達のように足袋の需要が激減したことにより会社経営に苦しみ廃業。
という経緯を辿りました。
今でも、空き家となった祖父の家では陸王のセットのようなミシンが置かれた仕事場が半ば放置されています。
まさに、リアルこはぜ屋(陸王)です。
まぁ、我が家の場合は、苦しくなった時点で廃業を決め陸王のように這い上がったようなエピソードはありませんが。
市内には《リアルこはぜ屋》である、足袋蔵やロケ地として使われた場所が沢山あります。
ぜひ、一度足を運んでみてはいかがでしょうか。